言い訳をしない。

「言い訳をしない」「締切りをつくり、守る」

来年の目標はこれにしようかな。。

多くにさらされながら得られるものはとてつもなく大きなものだった。RSSフィードやソーシャルメディアにはとても感謝している。

そして、その中で自分とは何か。それを最も学ぶことができた。

これまで、専門性を高め、苦しみながら学び、一度ソーシャルメディアで開放した。そして、そこに自分の居場所を見つけた。ただ、ここは未来の居場所では無い。常に自らを変化させることが必要。そろそろ、再び苦しみながら学ぶ時期だ。

もちろん、アウトプットしながらの学び。自己責任時代の学び。

「言い訳をしない」

「締切りをつくり、守る」

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ただひたすらに。

とにかく続けることだ。

きっとそこにストーリーが生まれる。

あらゆるものは時に近づき、時に離れる。

ソーシャルメディアでも同じ。

いつも寄り添えるのはほんの一握り。

ただ、数十年後、あっちで会おう。

向きだけ示して歩き始める。

群れること、組織をつくることはゴールではなく、事を成すための瞬間的な力。

組織など形あるものは全て形を崩し、またさまよい始める。

その破片には強い魂が宿る。

崩壊と再形成のスピードを速めてくれるのがソーシャルメディア。

そこにある魂の強さと組み合わせは無限。強ければいいというものでもない。

必要とされるなら、いつまででもそこにいよう。

そうでなければ、形を変えて、必要とされるところに向かう。

所属にとらわれてきた過去を捨てるのは本当に難しいことだと思う。

ただ、近い将来、きっと自分の力と人のつながりで一からやり直す人達が増える。

そうしなければならない未来がある。

なら、もっと自分に投資しよう。

ソーシャルメディアは自分を自分以上に見せることは決してできない。

これを広めること自体に価値はない。

携帯電話が当たり前のことになったように、ソーシャルメディアも当たり前になる。

「世界に自分をさらす」

この体験をすることこそが、今、必要なのだと思う。

ツールをひろめるステージはもう終わり。

己の無力さとわずかな光(=強み)に気づいた人だけが自ら次に進むだろう。

そこはデジタルでもアナログでもなく、より自分に近いところ。

「なぜ生きる」

私は2歳の息子が、30歳になる頃、彼が

「この街で生きていこう」

という選択肢を持てるようにこの街と家族に時間も強みも全てを投資していく。

金融や国家破綻になんて吹き飛ばされない、投資を続けよう。

「きっと笑顔が見られる」

そう信じて。誰になんと言われてもいい。

私は私を続けていく。ただひたすらに。

自分おこし

それぞれが違う・・か。。その通りだと思う。

普遍的なもの。考えてみた。

それが「欲」なのではないのだろうか?

街が起きるということ。なんだそれは?

街がにぎわえば、うるさいという人がいるかもしれないし、交流人口が増えれば自分の街じゃなくなったという人もいるだろう。

当然だし、押し付けることなど到底出来ない。

あらゆる全ては「自分」の中にある。

どんなに汚れた森を見ても、それを直せる生きがいを持てる!とポジティブに思う人もいれば、「最低だ。。と一言言い捨てる人」もいる。

どちらが正しいと言える資格検定などない。

ただ、「自分」にとって、不快かどうかは一瞬で感じられる。

自分の「欲」をはかりにして。

その一瞬一瞬がつながり、流れになり、人生になる。

人生は自分の中にある。

世界は自分を通して入り込む。

街おこしとは「自分おこし」に他ならないんだと思えた。

最近の自分の充実感や幸福感はなぜ街おこしに通じないんだろうと悩んでいたが、自分おこしは着実に進んでいる。

この自分おこしを街中に感染させられればリアルタイムな街の幸せに近づけるかもしれない。

ただし、そこに「Vision = 軸」は必要なのだが。