巷ではLinkedinやらGoogle+がどうたらこうたらという話が聞こえる。
まぁどうでもいいことです。
私たちの目標は毎日が輝かしく、忙しさの中にやりがいを見つけ生きていくこと。
その周りに笑顔の花が咲き、その花を見てまた周りの方々が動き出す。
その軸は「この街でこどもを育てたい!言われること」。これがYokotter。
それをどんなツールで行うかはどうでもいいことです。一番適しているものを選ぶのが私の役目ですから、私はもちろん勉強しなければいけませんが。何より大事な事は私たちの街に受け入れられると思われるツールを順に盛り上げて、そこに「場」をつくることでした。Yokotter起ち上げ当時にはFacebookとTwitterがありましたが、その当時は
- 「人のつながり」はなかった。
- 「プライバシー」や「自分をさらすこと」に対する強い恐怖感があった。
- 万人に受け入れられる必要があると感じていた(フォロワーを増やすため)。
だからTwitterのハッシュタグ #yokote を使うことを思いついたのです。
いまや、 #yokote はラジオのように多くの人が時間のあるときに読み、自ら気軽に投稿できる場所になりました。
- 情報が集まる場
- 人力Q&A
- コミュニケーションの場
となっていると感じています。
この中で私はひとつの変化を感じています。それは
- 人々は「場」に集まって結局はいつもの仲間で行動していましたが、それが「場」ではなく「人」を起点に人がつながり、「場」というよりは、もう少し焦点の定まった「くもの巣 – Social Web -」のつながりになってきた
ということです。
このWebは自治体単位ではありませんし、組織単位でもありません。私が夢見ている「理念単位」でもありません。
あくまでも、「人」単位。
おそらく、この流れが進めば「理念」単位のWebになるかもしれませんが、今のところ社会は
- 未来を想像させる
- ずっと責任をとりつづける
- マメである
といった「人 – ビジョナリー -」を真ん中に、Social Webを作っては壊している、そういうように見えます。
つまり、「 #yokote 」の役割のうち、「共感の持てる人とつながる」という部分の重要性がどんどん強くなっているのです。
私はこの役割を「#yokotter」に持たせようと思います。
Facebookはそのつながりを次のステージに運ぶツール。
この話はまた次回に。