自分の周りの塊というか「周りそのもの」がドッと境界線を越えてきた感じがする。
自分の「内側と外側の境界線」をいったりきたりする。
今までのような未開の地といった印象はもう遠いイメージとなり、インターネットの上で行われる様々な活動や情報流動がソーシャルメディアという無料の個人発信ツールによってあふれている。
その中で、情報ははっきり3つの情報に分かれて流入してくる。
- どんなに個人がキュレーションしようとも「自分にとって外側の情報」
- 自分に関わる情報
- ノイズ
基本的に多くの人は情報に対して受け身。
自分に関わる情報や友人、知人との交流をFacebookなり、Twitterなりで楽しむか、自分にとって心地よい友達の声を聞く。
このような「心地よい場」というものはいずれ「飽きてしまう」だろう。
そういった中で、私達は自分のタイムラインを整理し始める。高度な方法で。この行為は非常に重要だと思う。「ヒト」は成長する時に神経のシナプスいったん増やし、その後必要なものを残して減らすと考えられているがこの行為に似ている。
ただ、このインフラ(回路)は現在、Facebook中心になりつつあり、コンテンツやキーワードではなく、あくまで「ヒト」を起点に整ってきている。
これでは、結局、これまで全人的に優れていると言われてきたような人がもてはやされるだけ。これは革命とは言えない。
おそらくFacebookはTwitterに引導を渡すために「検索力」を強化してくるはず。
そこで、新たな革命が社会に起きる。
全人的ではなく、「ヒト接点(強み)やコンテンツ」と「ヒト」が起点となってソーシャルグラフインフラは整備されていくはず。
「優れている人 」ってどんな人だろう?曖昧な言葉。
「自分の接点を丁寧に、そしてオープンに提供しつづる人」がそう見えているのだと思う。
聖人のような人なんて出会ったこともない。
日本は溢れている。
私達は溺れそうだ。
偶然は無い。
全ては必然。
今、この瞬間に何を選択し、何を提供するか。何を変えず、何を変えるか。
幸せは必ず「自分の内側にある」。
人生なんてあっという間の出来事だろう。
全ては自分の中にある。
そう思う。