誰と共にあるか。

空間に「誰」がいるのかが魅力の全て。
野原に寝転がっても、満員電車でも、カフェでも、図書館でも。
ソーシャルメディアでつながる未来には「街」ですらそのように感じるはず。
「yokote」はすでにその感覚を理解し始めている。
会話をするでもなく、この場に共に存在することだけで感じ取れる「誇り」。
歩幅は違っていても、共に未来に向かい進む「誇り」。
自らをほんの少しだけ誇りに思うことができれば、幸せとなり、孤独からの解放につながるかもしれない。
言葉にすることは難しい。
困難な未来に立ち向かうには寄り添える「光」が欲しい。「場」が欲しい。
そこには言葉はいらない「笑顔」があるはず。
「秘密基地プロジェクト」は様々な想いをのせて走ります。

共感接点。

人と出会う際、
これまでは「人全体」に焦点があたるような「接点」しか持てず、それは所属だったり、過去の経歴だったり、多くの修飾物に隠されてきた。

ソーシャルメディア以降、現在進行形、もしくはどっちの方向を向いて未来を迎えようとしているかも感じ取れるようになってきた。
しかも、それは自分の「共感接点」を介して流入してくる。ある人の焦点があたる部分はこの接点だけである。ただし、見る側により接点は異なる。

情報発信とは、いかなる目的で行われたとしても「共感接点」を意識し、その「量」だけでなく「数・多様性」にも留意しなければならないと思う。

街づくり。

今までも、これからも、私は下記のような取り組みに興味は持てないと思う。

  • イベントプラナー
  • 取材記者
  • セミナー講師

でも、Yokotterの活動で表面に見えているのは、下記なんだなぁと最近つくづく思う。

  • イベント
  • 情報発信
  • SNS講習会

私に関して言えば、特に「情報発信」が上手なわけではなく、「上手な人の力を活かす」ことに興味があるだけ。ただ、そこに利益追求をしないのがひと味違うのかもしれないけれど。

「活かす方法」は日進月歩。
でもそのツールの成長や変化が好きで興味を持てる「匠」は少ないし、全般的に考えても稀だと思う。ソーシャル屋さんやSNS屋さんなどを除けば。

「人」-「人」-「コンテンツ」
この細い線を太くしていく。これが「コミュニケーションデザイン」のひとつ。
そして、この線は「川」となり、共感を持った人々は、その周りに「村」を形成し始める。
こういった「環境・文化・街形成」を促すのがYokotterの活動なんだと思う。

「この街でこどもを育てたい!と言われる街づくり」
このグランドデザインを掲げ、2009年12月、YokotterはTwitterで街おこしを始めた。
Twitterはまさしくこの「線」であり、これはインフラになった。

「情報発信」
これをひとつの団体や大きな組織が「強い力」を持って行うのは未来を見た方法ではないと思う。
Yokotterは決して「マスメディア」を目指してはいない。

「市民ひとりひとりの力、強みを活かす」 ことを戦略の軸に、そのひとつの手段として「情報発信」を促す。

「ひとりひとりの力を信じる」

リツイート(RT)やシェアをすることが私達の役割ではなく、「情報発信」に楽しさや幸せを生むのが私達の役割。

だからこそ、私は「幸せ」の根源を知りたくなる。
そのひとつの答えがこの本にある。

 

一言で言えば、

「自分が重要視され、評価されること」

これが幸せの根源にあるのだと思う。

Twitterはこれに「リツイート」という手段を通じて応えてきたし、Facebookの「いいね!」はこれそのものである。このことは「高齢化・人口減少社会」で生きていく上で最も重要となる。ソーシャルメディアが生まれる前は「貨幣」がその役割を果たしていた。「信頼」という重要な要素も兼ね備えて。

この2年間の間にソーシャルメディアはより「一般化」されてきた。一部の感度の高い人のツールであった黎明期とは全く異なる。

「地域通貨」から「世界通貨」

になっていく過程のような「危うさ」を秘めているのである。インフラ未整備状態での「通貨統一」は地域衰退の根源のひとつだったはず。その良し悪しは別として、 「強み」は人の集まる場所、貨幣の集まる場所を目指して移動していったのである。

現在はインターネットというインフラが整備されているため、すぐに人は移動はしない。ただ、「貨幣」の魅力が減少していくに連れて、人は移動するだろう。

「信頼」は「貨幣」を離れ、 「自分が重要視され、評価される場所」に移る。そして「人も移る」。

「街づくり」とは「人づくり」であり、「信頼づくり」だと思う。
そして、その根源には「貨幣」があるのではなく、「幸せ」があるに違いない。私はそう信じ、学び続けたい。

子育て世代。

子育て世代が社会で活躍するためのハードルはソーシャルメディアによって低くなってきていると思う。

両親ともが全力でこれまで同様の仕事を続けるのは大変なこと。でも、経済構造のせいでせざるを得なかったり、それを自ら望む人も多い。

街づくり活動をしていると、ソーシャルメディアが無かったら確実に子育て世代の私は活動に参加できなかったと思ってしまう。
ソーシャルメディアのおかげである程度、私の素性や想いや声色、性格、人格が初対面の方にも伝わっている。だから会うとすぐに本題に入れる。

日々、様々な想いやプロジェクトの構想を公開することは自分の居場所を守るためなのかもしれない。

若い人、子育て前の人、子育てを片親に任せた人、子育てが終わった人、退職した人、ずば抜けたバイタリティを持つ人、でなければなかなか街づくりに参加できなかったソーシャルメディア前の時代が日本にはあったのではないでしょうか(断定はできませんが・・)?

その方達が、今も多くの「会議」を平日の日中や毎日、毎週と繰り広げる。

顔を合わせて「決定を下す場」は必要だと思う。それを会議とすべきだと思う。
もちろん、ブレインストーミングやワークショップは必要で楽しむ場として参加したい。
ただ、闇雲に「集会」を開かなければ、参加しなければ街が創れないのであれば、「この街でこどもを育てたい」と言われる街には到底なれないと思う。

これは子どもがいなかった頃には想像もしなかったこと。
子どもが小学生になる頃には私も40歳を超える。

私の街づくり活動は、40歳からスタートすることを昔は想定していた。
偶然にTwitterに出会い、私は仙台に住みながら秋田、横手市の街おこしを始めた。
長男がまだ6ヶ月の時だ。
これは偶然ではなかったのかもしれない。
31歳で街づくりに関われるようになったことに本当に感謝している。

いつの日かプロジェクト単位で心が通う仲間と最高のパフォーマンスで仕事を楽しめる社会を小さくていいから創りたい。
そのホームグラウンドを横手に置いて。
インターネットはきっとその支えにいずれなる。

そのためには、自らの成長を止めないことだ。
20年後にはiPad nativeの子ども達が私を必要としてくれるかもしれない。世界のどこにいても。

その時も私は彼らに寄り添って生きたい。

地域。

「地域」ってなんだろう。
あきたびじょんを考えたり、FBのフィードを眺めていると感じる「地域」という言葉への違和感。

また、プロジェクトベースで動くようになった自分の生活は豊かになったのかどうかも考えるようになった。
チームでやれることをやるとは全く異なる形態だから。チームを維持管理する時間コストは非常に少ない。

最も大事なチームである「家族」の絆は深まってきている。
そういう意味で、「無理なく持続できる形態」だと思うようにしている。

「地域」という言葉を考えるとき、こういったことがヒントになると思う。

 

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