Unruled

これまではソーシャルメディアは共感で人と出会える場だと思って続けてきた。それは危機意識の強さ、本質に対する感度の高さ、好奇心の強さ、など様々なコンタクトポイントに対して、些細な一言から一定の価値を感じ得たからだったのかもしれない。最近ではこういう面白さを感じない。おそらく余りにも多くの人が利用していること、ブログと何ら変わらないものとして利用する人が増えたこと、短期間で結果の出るビジネスツールとして使えると勘違いしている人などが増えたからかもしれない。
ソーシャルメディアの外向きの力はすでに著名人のものとなってしまった。これからは内向きの力を高め、組織としての利用による効果を発揮していく時期に来ている。スマートフォンの普及やNFCのiPhone搭載などが揃えばヨーイドンだ。
現在のような普及期に途中から来て果実を収穫するかのようにツールで稼ごうとする人もこれからは増えるだろう。黎明期に自らの成長を遂げた人々が得た学びとは全く違う学びだ。その差は年月を経て大きくなる。これまでの自分を変えることなく、ツールとしてソーシャルメディアを取り入れているようなところには本当の果実はならないだろう。本質はそれを使うことではないからだ。この黎明期で自分の何が変わったかを学ぶべきだ。そして、黎明期にソーシャルメディアに触れずにきた人々は少なくとも数冊のソーシャルメディアの歴史を感じとれる本を読むか、その本質を学ぶ機会を得るべきだ。これは遊び道具ではない。説明書もない。インターネットやモバイルツールの本当の力が開花し始めているのである。あらゆるルールが覆されていく時代だ。一時的に起こる unruled な世界観。怖がらずに楽しんでいきたい。

20130428-014917.jpg

広告

自分会社

個人がメディアになるというとなるほどと思う人も多いと思う。ただ、それは実はもう少し意味を持つのだと感じている。

自分の発言や一挙手一投足は自分を代表しているのだ。所属がどこだからとか、大学がどこだからと人を見る必要はなくなった。Facebookを見ればある程度その人となりが分かるからだ。名刺はソーシャルメディアへの入口に過ぎない。私にとってソーシャルメディアにアカウントを持たない人はメールアドレスを持たない人と同じ。なぜか。それは人生という貴重な時間を奪われたくないからだ。何かを共有するためにメディアは存在する。メールやテレビというメディアも何かを共有するためのものだったたが、多少強制的過ぎた。

ソーシャルメディアは人々の感覚まで変えていく。その人のあらゆる活動はその人を創り上げ、プライベートや仕事という区別なく、その人の価値を決定づける。まるで自分会社だ。その人の自分会社と共に歩みたいかどうかを考える。そこにはどちらかが客でどちらかがお店ということはない。自分の人生の中のコミュニティの中でこの人と共に時間を共有したいかどうかが大事なのだ。

私はその人の強みに興味がある。何が他の人と異なるか。それがその人の魅力だから。

20130424-065658.jpg

所属

所属に拘らないことを信念としているが、所属がその人自身に与える拠り所としてのチカラは無視できないのかもしれないと感じるようになった。それは宗教のそれとは異なるが、人にではなく、自分の信じ、チカラを注げる場があることは心の拠り所になるのだろう。

環境に合わせて自分が変わる。
自分が変われば環境も変わる。
変わらない自分に合わせて環境を探して移動する。

いずれも誤りではないが、私は自分が思い描く未来を叶えるために変わり続けたい。そんな自分が所属する場に仲間が増えるならとても嬉しいことだ。

20130423-121120.jpg

福寿草

はぁ。。楽しかった(^^)

朝はロータリーでお世話になってる赤門さんから数年乾かした薪をいただき、義父のお知り合いからリンゴの樹をいただいた。中学の後輩や同級生からも。

私が仙台に居ながらTwitterでつながった仲間も、地元で知り合った仲間も、親戚も家族も幼なじみもみんな何かでつながっている。

薪集めのあと、BBQをした。寒いのに、だんだんテンションのあがる対話。気心のしれた仲間のあたたかさ。いつもソーシャルメディアで感じる暖かさに日射しを付け加えて。

そして、家庭に戻り家族に囲まれて騒ぐ夕食。庭に咲く福寿草。

春はやはり素敵だ。

20130420-204312.jpg