個人がメディアになるというとなるほどと思う人も多いと思う。ただ、それは実はもう少し意味を持つのだと感じている。
自分の発言や一挙手一投足は自分を代表しているのだ。所属がどこだからとか、大学がどこだからと人を見る必要はなくなった。Facebookを見ればある程度その人となりが分かるからだ。名刺はソーシャルメディアへの入口に過ぎない。私にとってソーシャルメディアにアカウントを持たない人はメールアドレスを持たない人と同じ。なぜか。それは人生という貴重な時間を奪われたくないからだ。何かを共有するためにメディアは存在する。メールやテレビというメディアも何かを共有するためのものだったたが、多少強制的過ぎた。
ソーシャルメディアは人々の感覚まで変えていく。その人のあらゆる活動はその人を創り上げ、プライベートや仕事という区別なく、その人の価値を決定づける。まるで自分会社だ。その人の自分会社と共に歩みたいかどうかを考える。そこにはどちらかが客でどちらかがお店ということはない。自分の人生の中のコミュニティの中でこの人と共に時間を共有したいかどうかが大事なのだ。
私はその人の強みに興味がある。何が他の人と異なるか。それがその人の魅力だから。