「富」の「痕」

疑うべきは「富」なのかもしれない。

この記事を読んで私達が享受している「富」に思いを馳せた。

夕張で見たのは辺境の貧しさではなく、唐突に終わりを告げた豊かさと、偽りの希望の残滓だった。富は突然のようにやってきて人々の期待値を上げ、人を呼び込むけれども、僕らはその豊かさを当たり前のように享受して、偽りの希望に縋ってでも維持しようとしてしまう。

唐突に現れる「富」にメディアが喜び、人々は歓喜し、これまでの「日々」に背を向けていく。

その富が消えた「痕」がこれから増えていく。

富は素敵なものだ。

その終わりにも責任を持つことを忘れなければ。

終わらないものはない。

変わらないものがあったとしても。

私達は変わらない「何か」、文化までなる「何か」だけを目指す必要はない。

終えることも素敵なことだ。

その「余白」にまた文化のチャンスが生まれる。

地方にはチャンスしかない。

偽りの希望ではなく、私達の希望を抱こう。

そう思う。