共同体感覚

人々は所属から安心を得ているのかもしれない。

そして、その所属先は、所属している人が他の所属先を持つことを否定しがちだ。

この「否定」を恐れないことも1つの「嫌われる勇気」なのだろう。

家族、会社、サークルなどのコミュニティ、人々は様々に所属する。

そして、人々はそれぞれを自分固有の「理想」に近づけようとする。時に怒りを覚えるほどに。

例えば、前郷塾に入塾していて、違和感を感じることがあれば、前郷塾を変えようとする。変わることで、変わった前郷塾に違和感を持つ人が現れる。ネガティブな循環。

そして、それを見ている他のコミュニティは変わることを恐れ、変わらないことを選択する。

こうして、人が巡らない街が出来上がるのだ。

違和感を持った時に変わるべきは「自分」である。自分の好みを前郷塾に合わせることでは決してない。

この例では自分がポジティブに変わり、前郷塾が自然とより良くなることもあるし、前郷塾と同時に複数の所属先を持つことや前郷塾を卒業することを選ぶということも大切だ。それを前郷塾が妨げることは絶対にあり得ない。

大事なことは所属先を自分の理想に変えることではない。同じことが全ての「所属」に当てはまる。

「自分の日常」を「自分の理想の共同体」にするために、より大きな共同体感覚を身につけることだ。そのために変わるのは自分。

大切なのは1つの共同体に依存することではない。共同体を変えることでもない。

自分が貢献したいと思える人々や事柄が日常に増えていくように「複数の共同体」に所属し、自分の人生をアレンジし続ける能力を持つことだ。その能力が「共同体感覚」。

他者の常識に潰されないことだ。

そのために嫌われる勇気を持つのだと思う。

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「共同体」、そして「共同体感覚」こそ、自分が環境をどう捉えるかで幸福になれるかどうかが決まるという、アドラー心理学の大切な概念です。先述しましたが、共同体とは、具体的なある一つの共同体ではないのです。あらゆる意味で垣根を越えた「理想」の共同体であり、一つの組織ではなく、もっと大きな共同体に所属していると感じていることが、「共同体感覚」ということです。