昨日の Apple の発表以来、色々と未来に思いを巡らせている。
1990年代の携帯電話発売以降、人々は常に携帯電話を保持し、緊急時に対応できることが当たり前となった。待ち合わせにも不便を感じず、家庭内でシェアしていた電話と電話空間は消えた。
この便利さはもう捨てられないだろう。安全や不安解消という観点からも人類の ‘当たり前’ として電気と共に残っていく。
その携帯電話が時計となり、手首に備わることになった。
これまで、携帯電話に Apple が詰め込んできたものは一度ふるいにかけられる。iPhone はこの形状を保つ限り、これ以上を詰め込めないのかもしれない。それが、iPhone X の感想だ。
iPhone によって、沢山の暇つぶし産業が生まれた。その中のひとつがSNSだ。人類の安心にもつながったが、嫉妬や不安を助長した面も否定出来ないだろう。SNS や多くの WEB サービスは学ぶチカラを備えた人にとって、今後も学びのコンテンツ、マーケティングのコンテンツとして利用価値を残すが、人類の暇つぶし産業はおそらく変化していく。
Apple がどう舵を切るかだ。
人類のためを考えるなら、どうすべきなのか。
私はいずれ Apple は Apple watch にテザリングの機能を持たせると思う。iPhone に収まらなかった insta360 ONE のようなカメラが wearable となり、Apple watch と無線でつながり、iPad や MacBook はモニター、入力デバイスとして鞄や車に収まる。wearable モニターが必要なら、眼鏡やミニマルプロジェクターを持ち歩く。
人々はモニターから解放される。
瞳が解放される。
もっと空を見て、大好きな人と声を重ね、地球を踏みしめ歩く。
そんな未来を想像する。
Watch OS がどこに向かい、世界中のビジネスがどんな 1 を生み出すのか。0 を 1 に。
ソーシャルネットワーキングサービス、SNS は拡大から豊かさへ向かう。
まずは、僕らが楽しむことだ。
世界を変えられるのは僕らの笑顔しかない。
モニターに向けていた眼差しを、笑顔を前に向けよう。