学び

学ぶということをどう考えているだろうか。

誰かに与えられて、平等に同じ知識がつくことだと勘違いしている人が多い気がしている。ならば本を読もう。

「学ぶ」は「真似ぶ」に近いと聞くことがある。これは的を得ていると思う。

「学ぶ」とは能動的なものであり、決して受動的なものではない。

あらゆる機会の中から自分が「真似ぶ」べきことや、参考にすべき事を取捨選択することが大切だ。

そして、自分の基礎と自分ゴトを手にしたら、「編集」へと移り変わっていく。

多様で沢山の「出会い」「本」「体験」「旅」へ自らを曝し、その中から編集して、自分へのメディアとして取り込んでいくのだ。

多くの人は「効率的」に学ぼうとしているように見える。効率的にするために、自らを「プロジェクト化」してしまっている人も多い。

人生はプロジェクトではないと思っている。

答えも目的もないものだ。

なぜなら、未来は誰にも分からず、平等でもない。

人は必ず最期を迎えるということ以外は。

私は「何をもって憶えられたいか」という問いに答えながら日々を過ごしている。私が最期を迎えた時に、どんな男だったと憶えられるのか。

効率的な学びなどない。

自分を多様で沢山の何かに曝し続けることから逃げてはならない。好きなもの、嫌いなもの、何でも受け容れ、取捨選択していく。

ゆっくりでいい。この世界の流れの支流に身を委ねることだ。

それ以外に自分のモノサシを育てる術はない。

自ら、その機会をつくることは難しい。

しかし、半歩進めば、その機会はいくらでもある。

偉い人やメジャーからしか学べない人は、学ぶ能力がまだまだ低いだけだ。人生が自分ゴトになっていない。自分はプロジェクトを達成するための何かだと勘違いしている。

必要なのは勇気だけだ。

その閉塞感はあなた自らがつくりだしている。

一緒

自分のコト、自分の提供しているコトやモノをどのように評価しているかに同質性や異質性を感じる。
「モノサシを評価する」
そこには正しいや間違いは無い。幸せとも関係ない。

ただ、そこでやり取りする温度は明らかに異なってしまう。

一緒に走るなら互いに気持ち良いモノサシを持っていたい。

  

contact point

企業の顧客接点について考える。
これは企業だけでなく、「私」という個人でも同じだ。
これまでは「強み」に焦点を合わせてきた。
これからは全ての「接点 contact point (CP)」にIdentityを投影することを意識しなければならないのだろう。
「オンとオフ」という仕事とプライベートという区分けはもう通用しない。
自分の Identity をどのCPに当て、そこを誰に開放していくか。
ソーシャルメディアは点と点の距離を一気に縮めてきた。
シンプルでアートのように美しく。
そのような接点を心がけていこう。

connections

うーん。。自分のソーシャルメディアの使い方に無理が出てきたかなぁと思うようになった。それは既存組織や古くから存在する街の持続可能性を高めるということに意識を置くようになってからなのかもしれない。

TwitterやFacebookをはじめとする多くのソーシャルメディアに相性がいい人は、個人事業主等の責任を自分でとれる立場の人か、全く責任をとらなくていい人であることが多い。その中間に位置する人が世の中にはとても多く、中間管理職とか言われてもいるようだ。

ただ、今後は企業や組織が永続的に続くためには「個人の責任」というものを全員が意識している必要があり、受け取る側が「これまでの感覚」だと実に住みにくい世の中になるだろう。

「これまでの感覚」は「お客様は神様」という言葉にもあるように、絶対的な主従関係の中で刷り込まれてきたのかもしれない。「お互いを育んでいく」という意識を持てるようになれば過剰なクレームも無くなるのかもしれないが、主従関係という距離のあるお付き合いから、もう一歩近づいて信頼を相互に持てる世の中になればいいと思う。

中間管理職が大事な社会では「縦のつながり」が絶対的だった。これからは個人個人の「複数の強み=強み接点」で蜘蛛の巣のようにつながる、「Webのようなつながり」が組織では重要だと思う。

ただ社会全体が「Webのようなつながり」で球状の地球になるようなこともなく、「共感=テーマ」等を通じて強くつながる面のような組織・団体・仲間が存在していく。そしてその面同士が、必要時に「両方に共感する人々」によってつながり、協働する。

強結合である「リアルWEB結合つながり(Real Web Connection)」はそれらを必要時につなぐ「つなぎ手(Connecter)」によって接続と離脱を繰り返すのではないだろうか。

さらに成熟した社会になれば、また変化していくと思うが、しばらくこういう視点で物事を見つめてみる。ソーシャルメディアもこのために使えるツールのひとつに過ぎない。

ソーシャルシフト

ソーシャルメディアに興味のある方は当然ご存知の「ソーシャルシフト」。
実は初めて読みました。

Twitterのチカラの本質に気づき、平静を取り戻した時に読んだ、タラ・ハントさんの「ツイッターノミクス」を読んだ後と同じような気分です。自分が整理した「事の本質」を万人に伝えるということはこういうことなのかと感激しました。

ソーシャルシフトの著者、ループスの斉藤徹さんを知ったのはTwitterでした。その後、数年という時を経て、私は数回に渡り東京で開催されたループスのセミナーに通いました。セミナーに通うなどと考えたのは初めてのことでした。そこではマーケティングという私にとっては新たなマインドを取り入れる作業を学びました。ソーシャルメディアによる傾聴に関しては何も抵抗なく受け入れられた私でしたが、経済活動を通したソーシャルシフトの軸を刷り込まれた時間だったと思います。

さらにその学びから時が経ち、あえてその「知」から距離をおいてソーシャルシフトが何たるかを自分で考えてきました。そのチカラを整理し、平静を取り戻しました。そこでやっとこの本を開きました。そこには遠回りをして体系化した自分の考えと一寸も離れること無く、かつ、それに大いなる肉付けをしてくれる言葉がならんでいました。

最新作の「BE ソーシャル!」も続けて読もうと思います。

Facebookのセミナーに3回行く暇があるならば是非、ソーシャルシフトをお読みください。10回行く暇があればツイッターノミクスもお読みください。そこには必ず訪れる未来が描かれています。理解できないし、意味も分からないという人も大勢いることも承知しています。ただ、その理解できない場所に私達は向かうのだと思うのです。

あとがきにある引用文を紹介します。

「特別な日ではなく、毎日の暮らしの中に幸せがあり、人との絆を大切に生きていきたい」という人々の気持ちだ。そこから〝Every Day Matters〟(毎日が大切)というコンセプトを