私は性格が変わってるから、他人のことがあまり気にならない。だからプライバシーコストは低く、シェアにもあまり抵抗がない。
これが逆だと、何でも自分だけのもの、場所が必要で人を選ぶ時間や心のコストも増える。ただ、私は他人に沢山の嫌な思いをさせていることに気づいていないのかもしれない。後からそのコストを背負うのかもしれない。
シェアライフを考える時、プライバシーやコミュニケーションにかかるコストや選民思想に近い多様性の低さにも想いを巡らさなければならない。
複数の人が共に生きることは沢山の奇跡が必要で容易ではないのかもしれないが、きっと本質はひとりひとりの心の中にある。