connections

うーん。。自分のソーシャルメディアの使い方に無理が出てきたかなぁと思うようになった。それは既存組織や古くから存在する街の持続可能性を高めるということに意識を置くようになってからなのかもしれない。

TwitterやFacebookをはじめとする多くのソーシャルメディアに相性がいい人は、個人事業主等の責任を自分でとれる立場の人か、全く責任をとらなくていい人であることが多い。その中間に位置する人が世の中にはとても多く、中間管理職とか言われてもいるようだ。

ただ、今後は企業や組織が永続的に続くためには「個人の責任」というものを全員が意識している必要があり、受け取る側が「これまでの感覚」だと実に住みにくい世の中になるだろう。

「これまでの感覚」は「お客様は神様」という言葉にもあるように、絶対的な主従関係の中で刷り込まれてきたのかもしれない。「お互いを育んでいく」という意識を持てるようになれば過剰なクレームも無くなるのかもしれないが、主従関係という距離のあるお付き合いから、もう一歩近づいて信頼を相互に持てる世の中になればいいと思う。

中間管理職が大事な社会では「縦のつながり」が絶対的だった。これからは個人個人の「複数の強み=強み接点」で蜘蛛の巣のようにつながる、「Webのようなつながり」が組織では重要だと思う。

ただ社会全体が「Webのようなつながり」で球状の地球になるようなこともなく、「共感=テーマ」等を通じて強くつながる面のような組織・団体・仲間が存在していく。そしてその面同士が、必要時に「両方に共感する人々」によってつながり、協働する。

強結合である「リアルWEB結合つながり(Real Web Connection)」はそれらを必要時につなぐ「つなぎ手(Connecter)」によって接続と離脱を繰り返すのではないだろうか。

さらに成熟した社会になれば、また変化していくと思うが、しばらくこういう視点で物事を見つめてみる。ソーシャルメディアもこのために使えるツールのひとつに過ぎない。

Unruled

これまではソーシャルメディアは共感で人と出会える場だと思って続けてきた。それは危機意識の強さ、本質に対する感度の高さ、好奇心の強さ、など様々なコンタクトポイントに対して、些細な一言から一定の価値を感じ得たからだったのかもしれない。最近ではこういう面白さを感じない。おそらく余りにも多くの人が利用していること、ブログと何ら変わらないものとして利用する人が増えたこと、短期間で結果の出るビジネスツールとして使えると勘違いしている人などが増えたからかもしれない。
ソーシャルメディアの外向きの力はすでに著名人のものとなってしまった。これからは内向きの力を高め、組織としての利用による効果を発揮していく時期に来ている。スマートフォンの普及やNFCのiPhone搭載などが揃えばヨーイドンだ。
現在のような普及期に途中から来て果実を収穫するかのようにツールで稼ごうとする人もこれからは増えるだろう。黎明期に自らの成長を遂げた人々が得た学びとは全く違う学びだ。その差は年月を経て大きくなる。これまでの自分を変えることなく、ツールとしてソーシャルメディアを取り入れているようなところには本当の果実はならないだろう。本質はそれを使うことではないからだ。この黎明期で自分の何が変わったかを学ぶべきだ。そして、黎明期にソーシャルメディアに触れずにきた人々は少なくとも数冊のソーシャルメディアの歴史を感じとれる本を読むか、その本質を学ぶ機会を得るべきだ。これは遊び道具ではない。説明書もない。インターネットやモバイルツールの本当の力が開花し始めているのである。あらゆるルールが覆されていく時代だ。一時的に起こる unruled な世界観。怖がらずに楽しんでいきたい。

20130428-014917.jpg

場をつなぐメディア

最近、何度かYokotterの取材を受けていて、過去から学びを受けている。

万人向けの何かを提供してきたわけではなく、

  • 参加するハードルが低い(ソーシャルメディアは無料)
  • リアルな場を用意する(よこまき。やよこいち。、その他のイベント)
  • 参加できない人向けのインフラやアーカイブ(Ustream・ツイキャス・ブログ)
  • 持続可能なプロジェクトは残していく(よこまき。やよこいち。等)

結果的に上記のようなことの繰り返しをしてきているのだと思う。

2012年は私にとって、秘密基地MIRAIを起ち上げるためのビジョン作成の年だったのだと思う。そのために上記は仲間に全て任せてしまっていた。スキルに関しては良くなってきているが、そのフットワークの軽さは逆に重くなってしまったかもしれない。さらには下記のような変化が3年前と比べてある。

  • Twitterのリアルタイム性が著しく落ちている(FBのいいね!スピードに負ける)
  • ツイキャスやUSTを開始したというツイートを見逃すことが多く、定期配信しか見ない傾向がある(個人的に)
  • Twitterを経ずにFacebookから入る人が増え、つながりが内向きになりがち
  • Twitterで知り合って、お互いにあまり相手を知らない時点で会うことが新鮮で楽しかったが、FBにより、より深く相手を知った段階で会うため新鮮さが少ない
  • FBの普及によって相手の所属が分かってしまい、会う前から、この所属の人だということが分かってしまう
  • プロジェクトを進めるという目的を達成することはFBの普及によって行い易くなっていると思う
  • 写真のインパクトがソーシャルメディアでかなり重要となった
  • Twitter黎明期の #yokote では #yokote をつけて投稿してくれた人をすぐにフォローしていた。本当に気軽に参加できた。#yokote は誰が投稿してくれているかは分かるが、どれくらいの人が見ているかが分からない。現在はひとつのインフラとして重要なものになっていると思う。場としての機能は減少している。 街に参加しているというよりは個人と個人のつながりが強固に見える。それにももちろん良い面もあるが。

上記から考えることは

  • 個人と個人をつなぐことは以前よりしやすいが、「場」と個人をつなぐことは非常に難しくなってきている
  • FBのような個人同士のコミュニケーションにとられる時間が増え、「場」を意識して「場につぶやきを放り込む」ことをあまりしなくなった
  • Facebookページは「場」として機能し得るが、そこにつぶやきを放り込むという形にはならない
  • Facebookグループも「場」として機能し、つぶやきを放り込むこともできるが「シェア」ができない
  • アーカイブとしての機能はブログがベスト。Google検索にFacebook内の投稿はひっかからない。

以上から場をつなぐ方法を模索してみたが答えは出ていない。下記を少し試してみようと思う。

  1. FBの投稿に #yokote をつけて Yahoo検索 をしてみる。
  2. Twitterを見直して、 @Yokotter8 を場アカウントして機能させる方法を考える
  3. 秋田ライフや横手ライフを共有するブロガー集団をつくる
  4. Ustreamやツイキャスを場をつなぐインフラとしてもっと配信数を増やしていく

ということで、ひとりブレストの結果、上記までは思いつきましたが、決定打とはなりませんでした。

もっと煮詰めて考えてみます。

 

ガバメント2.0

今日からブログを再開します。
日々の生活で感じたことを細谷拓真という切り口で書くだけの拙いブログですのでご容赦ください。

昨日、今日と久しぶりにテレビを見ました。昨日は撮りためていた「カンブリア宮殿」を、今日はエントリータイトルにもあるガバメント2.0を特集した「クローズアップ現代」を見ました。

カンブリア宮殿は面白いですよね。多様なリーダーシップを見ることができます。もちろん、本を読むほうがエキサイティングですが、ひとりの人にフォーカスしているところがとても気に入っています。まだまだ未視聴の録画があるので、ゆっくり消化していこうと思います。

今日のクローズアップ現代もすぅっと体に入ってくる番組でした。ガバメント2.0を特集したものでしたが、「市民の英知を生かせ」はまさに現代の日本に必要な思考だと思いました。私達Yokotterの戦略は「強みを結集すること」でした。これはTwitter時代では腑に落ちるものでしたが、Facebookや他のソーシャルメディアが広がった現在では違和感を感じるようになっていました。それが、この番組を見ることで理解できた気がします。

強みは分散し、つながっていればいいのです。その範囲は広ければ広いほど良いのですが、適度な密度も必要だと感じました。それと同時に思考や人生観は全く異なっていても、ひとつのコミュニティにおいては、「社会をより良いものにする」という軸を共有しなければならないとも感じました。

番組では

  • 街中に市議会で討論されるような問題がポスターとして貼られ、市民は記載された電話番号を入力しショートメッセージで答える
  • 公共の施設などが破損していたり、災害や事故があった時には、市民が写真とGPS情報をスマートフォンアプリを通じて投稿する
  • 救急隊の要請と同時に、その現場の近くにいる訓練された市民に連絡が行き、現場に駆けつけてもらう

といったアメリカでのスマートフォンを利用した取り組みが紹介されていました。


_DSC0219.jpg

NikonD600 AF-S NIKKOR 50mm F1.8 ISO100 1/4000 sec

これらによって解決するのは「時間」です。極端に言うと、市は様々な問題を直接市民に問うことができるようになります。市民は情報を提供したいだけなのに部署をたらい回しにされることが無くなります。市民が街の見回りをすることで、市職員が見回る時間コストが削減され、写真とGPS情報によってより正確な場所が同定出来ます。生命を救うためには一刻も早い救命処置が必要であることは言うまでもありません。

これまでは、余るほどの税収が行政にはあったのかもしれません。その時には丁寧に時間も人力もかけてゆっくり解決していればよかったのかもしれません。ただ、今後は税収は減っていくことでしょうし、現在も余裕はありません。そこで、ガバメント2.0なのだと思います。市の説明会に行く時間はないけれど、街角で掲げられている質問にはスマートフォンで答えます。税金はそれほど納めることはできないけれど、散歩ついでに見回りを市民がしてくれます。

つまり、市民が汗水たらして税金を納める代わりに、市職員や議員の代わりをして、市の人件費を削減するということです。決定のスピードも活動や救命のスピードもグンと速くなります。そして、市民目線になるのはもちろん、多様な考えを行政の中に導入することができるようになるのです。その多様性を確保するために「強みを結集する」のではなく「強みをつなげ、利用しやすくする」必要があるのだと思います。

おそらくガバメント3.0では市民が市の経営者になることでしょう。楽しみです。